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株式会社MTG 代表取締役社長
松下 剛氏


1970年生まれ。長崎県五島列島で4人兄弟の末っ子として育ち、小・中学校では新聞配達や当時人気のあったパンダうさぎやニワトリを仕入れて売り、小遣いを稼いでいた。高校卒業後、大手自動車部品メーカーの株式会社デンソーに入社。その後、起業資金をつくるために住宅関連の営業を経て23歳で起業。中古車販売業からスタートし、1996年に株式会社MTG設立。『ReFa』や『SIXPAD』など、BEAUTY・WELLNESSの領域にて革新的なブランドを開発。2012年から海外へ進出し、現在、社員約1,400人の企業に成長。2018年7月10日に東証マザーズに上場した。同郷である妻との間に6人の子供がいる。

イノベーションを巻き起こし、時代を牽引する人とは、
どのような視点や考え方を持っているのでしょうか?
そのヒントを探るべく当社代表の須原伸太郎が時の人物に迫ります。

サッカーのクリスティアーノ・ロナウドを起用したトレーニング・ギア『SIXPAD(シックスパッド)』や、世界トップのアーティストであるマドンナと共同開発したスキンケアブランド『MDNA SKIN』、そして累計販売本数1,000万本を突破した美容ローラーを展開するビューティーブランド『ReFa(リファ)』など、人気ブランドを次々と生み出している企業が、松下氏率いる株式会社MTGです。2018年7月10日に東証マザーズに上場。ユニコーン(企業価値10億ドル以上の未公開企業)として、国内では株式会社メルカリに次ぐ上場となりました。設立から23年をかけて果たした上場への想いから、泥縄式と例える経営スタイルなど、氏の原点や仕事に対する姿勢や考え方に迫りました。

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五島列島の環境が私を社長にした。
須原

今日はユニコーン上場※の5日前になりますが、今の松下さんの心境は?

松下氏

今は落ち着いているといいますか、やるだけやった感があるものですから、あとは野となれ山となれという心境ですね。

須原

ワクワクドキドキして、高揚感が高まるというわけでもない。

松下氏

ないですね。

須原

通過点という感じなんですかね。

松下氏

もちろん上場の意識はあります。あぁ、もう少しなんだなと。これまでずっと前を向いて走ってきたがゆえに、ふとした瞬間に昔を思い起こすと、ここに来るまで本当にいろんな人に応援してもらった。多くの人の力があって来れたんだなと実感します。

須原

それでは、時計の針を大きく戻しますが、松下さんの起業にいちばん大きな影響を与えたのはご両親ですか?

松下氏

故郷の五島列島のあの環境ですかね。もちろん両親にもつながるのですが、自分が養子だと知ったのが小学5年生。あの出来事がいちばんで、家も貧しくお金をくれとは言えなくなりましたし、自分の食いぶちは自分で稼ごうと決めました。誰に言われたわけでもなく、あの環境がそういう考えをつくってくれたと思います。小・中学生のときはパンダうさぎやニワトリを売って、それこそ血統書付のニワトリは一羽7万円〜10数万円で売れるので、粗利も高い。だから、卵を孵化させる器械を学校の理科室から借りてきて、今でいう量産ですね。うさぎもどんどん増えていくと、エサにする草を刈る仕事が一人で追いつかない。そこで雇った男が今のうちの工場長です。このときの経験は今でも生きています。やっぱり実践ですよね。経営はクルマの運転とよく似ているなと思っていて、学科と実地が必要で、私の場合は実地からやって学科はあとで勉強。今は大学発ベンチャーとかありますが、それではもう遅いんじゃないかなと。小・中学生から十分いけるんじゃないかと思います。先々はそういった制度をつくって、今度は協力できる側へまわりたいし、そういう会社でありたいと思っています。

須原

逆に、その環境がなかったら、会社をつくっていなかったかもしれない

松下氏

たぶん。純粋に、貧乏な松下家を豊かにするんだと、そのことばっかり考えていましたから。今は五島列島に恩返しをしたいです。もちろん社員がいちばんなんですけども、最近は海外へ行く機会が多いせいか、五島列島から日本全体に恩返しをしたい想いが強くなってきましたね。今私は次の代へバトンを渡すまでに、売上最低1兆円はやると言ってまわっていまして、最低1兆円というのは、上場を決意したときのひとつの条件です。1,000億円の目標だったらそもそも上場していません。上場は最低1兆円をやるための手段です。

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経常利益100億円の血判状。
須原

対談の前に、オフィスの廊下の壁にある沿革の写真を見せていただいたんですが、その中に血判状の写真がありました。

松下氏

あれはうちの仲間たちとのものですね。経常利益100億円を誓った血判状です。当時は売上10億円もいっていませんでした。そんなときに経常利益100億円を掲げて、みんなで心をひとつにしたときの血判状なんです。

須原

そのお話を聞いて、ソフトバンクの孫さんのエピソードを思い出しました。会社を創ったばかりのとき、みかん箱に立って1兆円を目指すと社員に演説をしたら、社員が辞めていったそうです。そう考えると、売上10億円も満たない当時に売上100億円ならまだしも、経常利益100億円を掲げる。メンバーはどう感じていたのでしょう?

松下氏

実感はなかったと思いますね。私もなかったです。ただ、そこを目指すんだということに対してみんなも賛同してくれて。たぶん本音は「また始まったけど、まぁ社長が言うならやろか」と(笑)。それが今では売上最低1兆円になりました。これまで掲げた目標は一つひとつクリアしてきましたから、社長の言っていることは実現するんじゃないかとみんな錯覚を起こすんです。どんなことでも言ったことを実現していけば、説得力が生まれますよね。逆に負け癖がつくと、いくら言ってもどうせ無理だとなってしまう。だから、そこはすごく意識しながら、今までもやってきました。

須原

松下さんとしても言葉にした以上、相当なプレッシャーがあると思います。サッカーの本田選手もビッグマウスと言われていますが、似たものを感じますね。

松下氏

自分を鼓舞するといいますか、言霊じゃないですけど、言葉として言いつづけていくと、確率が上がると思うんです。言わないよりも有言実行のほうがやらざるを得ない環境になりますし、達成の確率が上がります。そういった意味では、小・中学生のころから近所のおばちゃんを捕まえて、聞かれてもいないのに、将来、会社の社長になるんだと言っていた。あれはよかったと思っています。当時は、こいつバカかという人たちも、だんだんと、松下だったらいけるんじゃないかと、少しずつ変わっていきましたから。

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泥縄式経営。
須原

松下さんは他人を悪く言ったり、恨んだりとかまったくない方ですが、創業当時、信用が得られなかったときに将来見返してやるとか、怒りをエネルギーに変えることはあったのですか?

松下氏

それはもう、創業時は常に悔しい思いとかたくさんありましたね。でも、もっとそれはよいエネルギーというか、やっぱり恨み節のように使い方を間違えると、おかしな方向に行きますので。ただ、なにクソ魂というのは、うちでは闘魂と表現しています。

須原

アントニオ猪木の闘魂ですね(笑)。

松下氏

はい。闘魂がないとやっぱり経営はできないなと。

須原

なるほど。闘魂がないと経営できない、小学校からでも経営を始めればいい、大学発ベンチャーじゃ遅すぎると松下さんからお聞きして、最近なんとなく起業マーケットが軽やかというか、賢いというか。あまり忍耐や根性というものがなくて、最初からビジネスモデルを万端整えて、企画段階で企業価値がついて、資金調達もしてさぁやりましょうみたいな雰囲気があるのですが、松下さんからするとどう感じますか?

松下氏

経営はいろんなやり方があると思います。例えば、時間を買うという意味で、最初にお金を集めてビジネスモデルを実現していく方法もあれば、私なんかは小さな利益を積み上げていって、出た利益から投資をしていくというやり方です。大きく2種類あるとすると、どっちもありだと思います。これはその人が決めることであって、どっちじゃないといけないというのはないです。私の場合は泥縄式経営ですから、縄をつくってから泥棒を捕まえにいくのではなく、追いかけながらつくる。まさにそういう経営です。危なっかしいといえば危なっかしい。でも、それしか方法がなかった。それでもやれたことが大きかったと思っていますね。要は結果です。では、その思想が結果どうなったかといえば、それが資本政策に変わったんです。私は上場するときには強い上場をしたいと。経営者の資本比率が低くて、玉がなくなることがないように、強い資本政策でやっていきたいと考えて、我慢に我慢を重ねて耐えて、今の資本政策ができたのかなと。

須原

強いですよね。

松下氏

最初から小さな利益を積み上げ、積み上げ、その考え方をずっと貫いてきた結果だと思います。上場に関しては、時間は焦らず。これまでも証券会社から薦められていましたが、いや、まだ早いと。足下の利益はよくても、もっとブランドを生み出し続ける仕組みやグローバル展開などある程度、上場するまでに自己資金でリスキーなことをやっておきたい。あとは困難といわれるところ、上場してからマドンナとクリスティアーノ・ロナウドとやろうと思いますと言ったら、株主からバカかと(笑)。そういったリスキーなことをやって、海外もある程度の実績と兆しを持って上場したいという想いがあったものですから、そっちの仕組みづくりをやってきたんです。結果、会社をつくって23年後にやっと上場というカタチにはなるんですが、世の中には創業5年でスピード上場という会社もあるので、うちは何の自慢にもならない。でも、自分が理想とする上場には近づけたかなと。

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マドンナ、C・ロナウドとの奇跡の契約。
須原

マドンナとクリスティアーノ・ロナウドについては、代理店を一切通さずに、社長自らが開拓していかれました。

松下氏

はい。グローバル展開をしていくブランド開発において、MTG自体も、商品の認知度もない中で、世界的に著名な方とブランドをつくってみたいと思ったことがきっかけでした。マドンナは世界中の誰もが知っている美のアイコンです。それはもう周囲からすれば無謀なアプローチでした。最初はキャスティング会社に相談しましたが、どこからも「はぁ?」「本気ですか?」と。マドンナに断られた企業を聞くと、そうそうたるブランドが並んでいて、それを聞いたら普通、諦めます。でも、我々は違いました。であれば、余計になんとかせないかんと。無理だと言う人とやっても無理ですから、独自でやることにしたんです。私と唯一賛同してくれた常務と一緒に。じゃあ、どうやってやるか。まずは知人から当たろう。誰かマドンナの知り合いはいませんかとスタートしました。でも、これがだんだんとたどり着いていくんですよ。当然、中には怪しい人もいましたが、今うちの顧問をやっている方と出会い、彼がマドンナの専属エステティシャンと知り合いで、彼からのお願いで彼女に名古屋まで来てもらいました。彼女はマドンナのビューティーに対して、世界中のメーカーから来た商品をチェックしてはじく責任者です。最初会ったときはどう見ても不機嫌な様子でした。でもプレゼンをしていき、最後に試作を見せたら反応が変わったんです。そのあとの会食では、だんだん我々の応援団に変わっていくのがわかりました。そして、ようやくマドンナ本人に我々の試作がたどり着いたんです。そこからさらにまた道のりが長いのですが、商品開発までに6年かかりました。うちの顧問弁護士は最初「社長、手の込んだ詐欺じゃないのか」と。

須原

そう思ってもおかしくないですよね。

松下氏

マドンナと契約を交わしたときの私のサインは、今でも忘れません。実は、小学5年生のときに遊びながらつくったサインがあるのですが、それを使ったんです(笑)。

須原

まさかマドンナとの契約で使うことになるとは(笑)。

松下氏

先日、ニューヨークでプレス発表したときもマドンナは「なぜMTGなのか?」という質問に答えてくれました。すごくありがたかったですね。ニューヨークの人たちからすると奇跡を通り越した奇跡とのことでした。マドンナもクリスティアーノ・ロナウドも金額では判断しない方です。私が可能性はゼロじゃないと思ったのは、2人ともベンチャースピリットのある方だったからです。クリスティアーノ・ロナウドも同じアプローチで、我々の熱意に賛同してくれた。2人とも革新的なものが好きで、デザインにもすごくこだわりがある。熱意だけでOKになるほど甘くない。商品と熱意がうまく掛け合って、奇跡が起こった。全責任を背負って経営をやる覚悟がある人であれば、誰もが無理だと言うことも実現できます。でも、マドンナとの契約は誰も信じてくれなかったですね。

須原

(笑)。話は変わりますが、上場への社内体制づくりに、弊社からはコンサルティング、出資に加えて、CFOとして渡邊将人を派遣させていただきました。彼との役割分担など、一緒にやってみていかがでしたか?

松下氏

私も含め社内のメンバー全員が上場未経験者です。証券会社や監査法人から指導はしてもらいますが、社内体制の構築で力を貸してもらったことは非常に心強かったですね。本当にありがとうございました。とくに彼の存在は大きくて、須原さんの忠告どおり、おっちょこちょいなところもあるのですが(笑)、彼の強みは絶対的に信頼できる人間であることです。そこは管理部門の長として、彼のいちばん優れた能力だと思います。

須原

それはとてもうれしい評価ですね。

松下氏

今回の上場は大変だったと思います。人数もそうですが、上場準備をしながら、私が新会社をつくりたいと言い出したり。管理部門からすると上場するまでは避けてほしいというのが本音でしょう。でも、彼は嫌な顔ひとつしない。今回、彼が率いる管理部門のメンバーには大貢献してもらいました。あのとき自前主義でやっていたら、明らかにターゲットの7月10日に上場はできなかっただろうなって。本当に感謝しています。

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既成概念を崩していく。

須原

では、最後の質問となりますが、これからの新しいチャレンジやビジョンを教えてください。

松下氏

MTGは自らを「ブランド開発カンパニー」と位置付けています。社内にある技術だけでなく、世の中に眠っている技術、例えば大学や異業種の企業とか、そういった多くの知見や技術を借りながら、世の中にない商品をつくり、ブランド化とグローバル展開を進めていきます。成長戦略のキーワードはBEAUTY&WELLNESS TECHです。BEAUTYとWELLNESSは約82兆円市場。ここの領域でまずは1兆円を目指す。例えば、BEAUTYのマーケットは約100年間、ほとんど進化していません。そこにAIやIoTなどのテクノロジーを入れて、今までできなかった機能を果たす。WELLNESSにもAIやIoTの機能を入れていきます。2018年1月には「MTG AI研究所」を設立し、AIの権威である杉山将先生※を技術顧問として迎え、研究開発を進めているところです。

須原

そうですか。MTGの商品は機能性が高く、革新的なデザインで、ユーザーが劇的な新しい体験をするという意味で、まるで英国のダイソンのようです。

松下氏

そうですね。そういった意味ではまだまだ学ぶことはたくさんあると思います。これまでの日本のメーカーは広告会社にマーケティングやブランディングを丸投げしてきましたが、我々はブランディングとマーケティングの骨格はすべて社内でつくっています。これが自前でできるようになったことが非常に強くて、商品開発とマーケティングとブランディングを同時に進めていけます。こうした独自の手法は今後も強化していきたいですね。あとは、今までの既成概念を全部崩していきます。例えば、『ReFa』が美容室で飛ぶように売れたように。それまで美容室ではシャンプーやリンスしか売れないと言われていましたが、そう思い込んでいるだけなんです。流通もこれまでのやり方を崩していきます。既成概念のなかでやっていたら、価格合戦で日本は勝てません。やはり日本のメーカーこそブランド化して、品質のよさを世界に広めていくべきです。そうしていけば、まだまだ日本の強みを活かせると思っています。

須原

これからますます楽しみですね。本日はありがとうございました。

※ 理化学研究所 革新知能統合研究センター センター長 兼 東京大学大学院 新領域創成科学研究科 複雑理工学専攻教授

編集後記

松下さんのお話には、戦後日本を代表する経営者=本田宗一郎や松下幸之助の起業ストーリーと重なって見える箇所が多々あります。今でこそ起業のインフラ(法制度、ファイナンス)は整っていますが、当時は起業のノウハウなど存在していませんでした。すべての起業家が徒手空拳。何の後ろ盾もない中で、自らの勘と度胸だけで仕事を見つけ、あるいは作り、お金を工面していた時代。そんな時代の空気を、久しぶりに思い出させてくれる松下さんのMTG成功秘話。長崎五島列島から、日本一の会社「トヨタ」を目指して上京した松下少年を瞼に思い浮かべるだけで、胸が熱くなります。松下さんに一貫しているのは、桁違いの「志」。創業時の仲間やMTGスタッフ、クリスティアーノ・ロナウドやマドンナらが、松下さんを信頼する所以でもあります。このまま、次の目標(売上高1兆円)を目指して、突っ走ってください。

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